社長の酒造りコラム 1996年のコト
農業の話
前回までしつこく生老の話をしてきましたが、今回は農業の話です。
生老ってやっぱり駄目なんですかね。美味しさって本当に難しいです。
ところで中央葡萄酒勤務時代もブドウ栽培の担当もしていて農業をやっていました。
今思えば、会社所有のブドウ畑ではなく、社長個人が所有するブドウ畑でブドウ栽培してたんですね。
会社が農地を所有できるようになったのは最近の事です。
結構な面積で棚栽培の甲州種を育てていましたし、
うまくいきませんでしたが、勝沼から遠く離れた荒れ地でマンズレインカットで
カベルネソーヴィニヨンを育てたりしました。
そのカベルネの畑仕事は辛ったですね。今思い出しても。
炎天下の作業も結構ありましたし、そもそも全く実らなかったです。カベルネ。
その土地が火山灰土壌だったんじゃないかあと思うんですよ。
苗木も悪かったのかなあ。
隣の桃畑は見事でしたけど。
そんな環境から千代酒造に来て、まずは山田錦を自分たちで栽培しようというのは
自然の流れだったと思います。ワインに毒されていたんですかね。。
当時の千代酒造は私の入社3か月前に年間雇用の蔵人を3人も採用していて、
夏場の仕事が無い中で米作りでもしてもらうかって事になっていたので、
飯米よりは酒米を植えた方が為になるよねという事情もありました。
3月頃に山田錦を植えようか!ってなったんだと思うと、
それからよく山田錦の種籾が入手できたなと思います。
初年度は4反程の田圃だけだったから何とかなったんでしょうが、
その当時、山田錦の籾種を入手する事の難しさからすると、周りの協力のおかげです。
当時、千代酒造にあった農機具は、苗を作るための種まき機とトラクター、
手押しの田植え機、草刈り機だけで、自分たちで稲刈りは出来ない農家でした。
という訳で、稲刈り以降は作業委託していたのですが、ヒノヒカリならいざ知らず、
山田錦となるとそうもいかず、稲刈り、乾燥、籾摺りをどうするか?が大問題でした。
今思えば、割と無茶な事をはじめた物です。
農業はそれまでも近所のおじさんが米作りも野菜作りも担ってくれていたので、
その人に教えてもらいながら蔵人がお手伝いという感じです。
山田錦栽培はまだおままごと並みの面積でしたが、当時はそれでも大変な事をやってる感がありました。
1年目は稲刈りを10日ほど早く行っていたら完璧というぐらい素晴らしい米だったように思います。
1996年の10月の事です。
次回に続く。。。